サイグレアニマン

サイケ、プログレ、アニメ、漫画、映画などの覚書

好きなもの目録 その99 手塚治虫のばるぼら

愛の中には常に狂気がひそんでいる。
そして狂気の中には常に理性がひそんでいる。
――フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

手塚治虫の漫画を実子の手塚眞監督が実写化した
映画『ばるぼら』を視聴したっす。
原作をコンパクトに纏めてあって出来は悪くないです。
ばるぼら(バルボラ:二階堂ふみ)が芸術の女神というより魔女の方に寄ってるかな。
漫画(原作)の時代や地域を超越した芸術作品が雑多に置かれている
ムネーモシュネーの店が好きなんすが、映画は異空間感が無いかな。
二階堂ふみばるぼら役と聞いて合わないと思ってたんすが、
まあまあ合ってます。ヌードになってるし……。
漫画と違い編集者の甲斐加奈子役の石橋静河を美人と思ったことが無かったんすが、
ばるぼら』の石橋静河は地味可愛いかも。
渡辺えりムネーモシュネーは『ジョジョ』に出てきそうなキャラ。
重要そうに見えてあまり登場しない渋川清彦の無駄遣い感。
あと最後があっさり終わります。
ばるぼらが復活するのか謎なんすが、小説(作品)の中で永遠に生き続けるって感じなのかも。
1970年代とかオカルトやニューエイジ的な新興宗教が流行ったのか
『悪魔のバージン - レイ・オースティン』
『悪魔の追跡 - ジャック・スターレット
なんかを観ると悪魔信仰の儀式とかって必ず全裸なんすよね。
『ミッドサマー - アリ・アスター』の新興宗教?も全裸で儀式してたし。
あと、美倉洋介(稲垣吾郎)とばるぼらの関係って
『何曜日に生まれたの』の公文竜炎とアガサっぽいと少し思う。


「私はねぇ。少年時代に手塚治虫さんのファンでねぇ。
あの先生の作品は最高の漫画だと思ってたもんです。
ところが年を経た今になって読み返してみると
なんだか古色蒼然と見えるんですなァ」
――『ばるぼら』の「大団円」の台詞改変。

私は、手塚治虫を漫画の神様と尊敬するのと同時(アンビバレント)に、
その作品数の多さに比べ面白いモノが少ないなぁ。
っていう否定的な気持ちが正直なところです。
私は、手塚治虫が亡くなった後で神格化されてから
手塚治虫の漫画を読んだのではなく、
『ドン・ドラキュラ』の連載が始まる前くらいから、
アドルフに告ぐ』の連載が終わるくらいまでの
1980年代前半頃に手塚治虫の漫画を読んでいたんですが、
その頃は正直言って手塚治虫は人気無かったです。
私が小学生の頃の親友の一人に手塚治虫好きがいて、
その影響で私も手塚治虫の漫画単行本を集めるようになったんですが、
中学、高校と私の周りで手塚治虫の漫画を読む人はあまり居なかった。
(読んでいても『ブラック・ジャック』くらい)

手塚治虫は戦後日本漫画隆盛の開祖・創始者だと思う。
手塚治虫のデビューから1970年代初頭頃で、
手塚治虫の影響をあまり受けていないのは、
水木しげると一部の劇画家や戦前の漫画家の弟子筋くらいだと思う。
(テレビ)アニメも手塚治虫が居なかったら、
今とは違うモノになっていたと思う。
(こんな大量な作品数は制作されなかっただろう)
なので手塚治虫が漫画の神様というのは当然だと思う。

しかし、手塚治虫石森章太郎は、その膨大な作品数に比べて
(私からすると)傑作や名作があまりにも少ないと思う。
有名な作品、代表作
(『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『ジャングル大帝』『火の鳥
ブラック・ジャック』など)はあるけど、
今読んでも十分面白いって勧められる作品が少ないと思う。
石森章太郎は『ジュン 章太郎のファンタジーワールド』が傑作だと思うけど、
ジェニーの肖像』が原案らしいし)
永井豪とかも作品を量産しているけど、
デビルマン』という大傑作を生み出しているし。
手塚治虫石森章太郎は、ストーリーの練りこみ方が足りない(荒い)と思う。
手塚治虫の演出・表現方法・台詞回しなどは演劇・舞台的で古臭く大袈裟に感じる。
物語を作為的に悲劇的方向に持っていくのが鼻につく)
でも、キャラクター造形や設定や世界観はバラエティに富んでいて凄いと思う。

なので、手塚治虫のこの作品が傑作・名作だ!
と紹介することは出来ないんですが、
(私が)好きな作品はあります。
『W3』
どろろ
『ブルンガ1世』
三つ目がとおる
などです。
そして、なぜか昔から好きなのが『ばるぼら』。
オカルティックで変態趣味のマイナーな作品なんですが、
時代や地域を超越した芸術作品を扱うムネーモシュネーの店や、
芸術の女神か魔女か勝手気ままなバルボラが、なんか好きなんですよ。


標題:手塚治虫ばるぼら

分類:漫画>青年漫画>オカルト

■題名:ばるぼら

作者:手塚 治虫

発表年:1973年~1974年

製作国:日本

評価:B ★★★◎

■内容・雑記:
ぼく(手塚治虫)はオッフェンバックのオペラ『ホフマン物語』が好きで
LPを仕事の合間にしきりにかけるのですが、
一度ぜひこれをマンガ化したいと思っていました。
幻想、怪奇、猟奇に充ちたロマンがあるからです。
ばるぼら』は初め、『ホフマン物語』の現代版として描き出しました。
しかし、たいへん特殊な世界の特異な物語なのでアクが強すぎ、
しだいにオカルト・テーマの方へかたよってしまいました。
この連載の頃は、今ほどオカルトブームになる前だったのです。
――大都社版『ばるぼら』のカバーより。
(※原文のひらがなを漢字に代えたりしてます)

<登場人物>
美倉 洋介:
昭和15年10月5日生まれ。
耽美主義をかざして文壇にユニークな地位をきずいた流行作家。
異常性欲の持ち主で、普通の女性に対して性的興味を抱かない。
バルボラに出会い身の破滅を迎える。

バルボラ (ドルメン):
アル中のフーテン。
ミューズ(芸術の女神)の姉妹の一番末っ子。
ブードゥー呪術を使う。
美倉との思い出を消され、ドルメンという名前で大阪にいた。

ムネーモシュネー
バルボラの母親。記憶の女神。
旧石器時代のヴィレンドルフのヴィーナスと同じ容姿。

里見 志賀子 (美倉 志賀子):
衆議院議長里見権八郎の娘。
バルボラに捨てられた美倉と結婚し妻になる。
美倉との間に一子をもうける。

甲斐 可奈子:
甲斐書房の社長の娘。

美倉の影法師(マネージャー):
バルボラが連れて来た美倉洋介ソックリの男。
甲斐可奈子と結婚し、その後は二人とも行方不明。

立場 陰堂:
偉大なる母神教会の日本支部会会長。
世界的に有名な呪術師。

筒井 隆康:
美倉の作家仲間。

松本 麗児:
マンガ家で本の収集家。

<話>
01. デパートの女
02. 女と犬
03. 黒い広場
04. 秘密
05. 砂丘の悪魔
06. 黒い破戒者
07. 狼は鎖もて繋げ
08. 複製
09. 狂気の世界
10. ブードゥー
11. 黒ミサ
12. 回帰
13. 宣告
14. 霧の中のパトス
15. 大団円
大都社版には、「黒い広場」「砂丘の悪魔」「狼は鎖もて繋げ」が載って無い。


「デパートの女」では、マネキン人形と性交。
「女と犬」では、メス犬(アフガン・ハウンド)と獣姦。
「黒い広場」では、サドとマゾ。
「秘密」では、近親相姦。
砂丘の悪魔」では、理想の女性(潜在意識)の幻影を追う。
「狂気の世界」では、放火。
「霧の中のパトス」では、
カール・フォン・コーゼルが、愛した女性の遺体と一緒に過ごしたみたいに
バルボラを屍姦。
――などなど猟奇的な話や黒魔術(呪術)などオカルト的なのは
E.T.A.ホフマンの影響なのかな。
ホフマンは、自動人形やドッペルゲンガーなどをモチーフにしたみたいですが、
マネキン人形や美倉の影法師は、自動人形やドッペルゲンガーの置き換えなのかな。

「大団円」で、『モナ・リザ』に嫉妬からかカラースプレーをかけた女もいた。
――という描写があるんですが、
実際には嫉妬からではなく、
乳幼児や身体障害者などの入場を制限したことに対する抗議らしいっす。

手塚治虫の『ばるぼら』は、
美倉洋介の最後の私小説ばるぼら』の冒頭で終わるループ漫画的側面もある。


■ひとりごと・その他:
「人間が月に到着した日から、
人の心から夢も空想も瞬く間に消えて行ったんだ。
今の漫画ファンは現実的でやたらに理屈をつけたがるし、
おとぎ話や伝説や怪奇や夢物語より、
三億円使ったほうがずっと楽しいんだ。
もう私(手塚治虫)の出る幕じゃない」
――『I.L』の「箱の女」の台詞改変。

よく手塚治虫が、人類の月面着陸以降
漫画のストーリー(空想物語・フィクション)が作り辛くなった。
みたいなことを言っているんですが、
月面着陸以降の方が面白い漫画(手塚治虫以外の漫画家の作品)が多いと私は思うっす。
月面着陸以降、手塚治虫は自分が時代遅れになったと自覚したのかな。