サイグレアニマン

サイケ、プログレ、アニメ、漫画、映画などの覚書

好きなもの目録 その324 フェデリコ・フェリーニ

「シネフィルWOWOW プラス」で久しぶりに
フェデリコ・フェリーニの『道』を観たので。


フェデリコ・フェリーニ作品は、そんなに観たことないけど、
一監督一作品で好きな映画トップ100を選ぶとしたら、
魂のジュリエッタ』か『サテリコン』なんかが
トップ10かトップ20に入るくらい私は好き。

なんすが『魂のジュリエッタ』『サテリコン』とかは
観直さないと詳しく書けないんで、
過去にフェデリコ・フェリーニ作品について書いた記事でお茶を濁すっす。


標題:映像の魔術師 フェデリコ・フェリーニ

分類:映画>洋画

■題名:
LA STRADA

LA DOLCE VITA
甘い生活
OTTO E MEZZO
8 1/2

監督:
FEDERICO FELLINI
フェデリコ・フェリーニ

音楽:
NINO ROTA
ニーノ・ロータ

出演:保留

発表年:
1954年
1960年
1963年

製作国:
イタリア
フランス (※イタリアと共同『甘い生活』『8 1/2』)

評価:保留

■内容・雑記:
※昔の記事に少し修正・加筆しただけで、
映画を観直してないので色々間違ってるだろうけど許してください。

『道』
大道芸人のザンパノは、粗野でサドな性格から内縁の妻を亡くす。
んじゃ、また代わりをってことで、
妹(ジェルソミーナ)を一万リラで購入。
しかし彼女は、
ちょっと天然な不思議ちゃんだったことから起こる哀と悲劇。

ザンパノとジェルソミーナの二人は旅芸人。
人魚がトレードマークのキャンピングトレーラーをバイクで牽引。
ザンパノの芸は、胸に巻いた鉄の鎖を、
胸の筋肉(肺?)だけで引き千切るという人間業とは思えない見世物。
(今まで、この芸で失明した人がでたほど危険なもの)
……なんですが、
エンターテインメントやショーが発達した現代の目からみるとショボイ。
あと、ジェルソミーナと二人でのショートコント。
(「鴨じゃなくて、お前を撃っちゃうぞ~っ!」とかの寒いヤツ)
いやぁ、よくそんなのでお金稼げるなぁ、と逆に感心します。
まぁ昔はテレビもないし、旅芸人もしょっちゅう来ないから、
娯楽に飢えた人々にはいい見世物だったのかなぁ。
母をたずねて三千里』のペッピーノ一座、
明日のナージャ』のダンデライオン一座の凄さがわかります。
(まぁアニメだけど)
家なき子』のセニョール・ビタリス一座の方が、よっぽど芸達者です。

ザンパノと犬猿の仲でライバルのキ印は、
高所での綱渡りは出来るわ、バイオリン弾きながらコメディ出来るわで、
頭の回転が速い躁病気質の男。
サーカスで再会した二人はケンカの毎日。
そして……あんなことにFINE。

ザンパノは粗野で、みるからに教養がなく、
ジェルソミーナに暴力をふるうわ、女癖は悪いわ、盗みを働くわ、
そして過失ながら人殺すわ、
頭おかしくなったジェルソミーナを捨てるわ、で最低の男なんですが、
ジェルソミーナが死んだことを聞くと悔恨の涙を流します。
「ジェルソミーナっ! オレが悪かった。許してくれぇ。
オレを一人にしないでくれぇ……」
みたいなことを心に思っているのか海岸で男泣き。
少しは改心したのかな、救いようのない悪いヤツなら、
またジェルソミーナの妹でも一万リラで買って同じ道を……。
ジンワリ心に沁みる名作でした。

音楽は、英題が『THE ROAD』だけに
THE 虎舞竜……じゃなくてニーノ・ロータです。

『白痴 - 黒澤 明』の亀田欽司(森雅之)とか、
『風船 - 川島 雄三』の珠子(芦川いづみ)とか、
『喜劇 女生きてます - 森崎 東』のポチ(久万里由香)とか、
頭が弱いというか純真無垢というか天使みたいな
ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)の
どんな目にあっても耐える妻ってのが、
『残菊物語』などの溝口健二作品が思い浮かんで
古い日本映画に通じるもんがあるなぁ。と
なんかザンパノが三船敏郎
ジェルソミーナは、千石規子をちょっとふっくらさせた感じに思えて。
古いイタリア映画って、古い日本映画に似ているような……。
影響しあっていたのか、偶然似たのかわかりませんが、
雰囲気がなんか似た感じなんですよねぇ。
その頃の映画がみんなこんな感じだったのかもしれませんが。

風間志織監督がザンパノの菅田将暉とジェルソミーナの森川葵
『道』をリメイクしたのが『チョコリエッタ』。うそ


甘い生活
最初の巨大キリスト像をヘリコプターで運ぶ場面で、
こりゃ凄い映画に違いないと確信。
途中まで面白かったんですが、ちょっと話が長い。
三時間近くあるんすよ上映時間。
途中から同じような話がダラダラ続くのは、
主人公が乱れた生活から抜け出せず、
ダラダラと流されながら生きているのとシンクロしてるのかもしれませんが。
途中のエピソードの一つで、
イタリアの貴族(上流)社会の頽廃ぶりをみせる話で、
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ
のニコがニコ役で出演。
あの低音ヴォイスで西洋甲冑の兜かぶって怪演。

キャバレーとかのシーンで、似非オリエンタルっていうか
インドネシアの舞踏みたいなのが出てくるんですが、
被ってるお面が、スティクスの「ミスター・ロボット」みたいだなぁ。とか
イタリア男性は何処でも誰でもナンパするんだなぁ。
ヘリコプターに乗りながら上空からナンパとか初めて見た。

パパラッチの語源の元になったパパラッツォっていう名前のカメラマンが出てきます。
芸能マスコミの酷さが、大げさ(とは思えないけど)に描写。
マリア様降臨のマスコミ取材の酷さとか笑うに笑えない、
今現在も続いているマスコミ体質。
(『ゲティ家の身代金 - リドリー・スコット』でも、
イタリアのパパラッチの酷さが映されていたなぁ)
前に観た映画『ネットワーク - シドニー・ルメット』とかもそうなんですが、
こういったマスコミの暗部を描いた作品を、
ぬけぬけとテレビで放送するわりには
それを真摯にとらえて改善しようとしない欺瞞を感じるんですが。
自分達の悪い所を電波で流しているのに、何も感じないんですかねぇ。
それとも他は酷いけど、私達は別だ。って感覚なのか?
それか完全に開き直っていて、それのどこが悪いっ!ってことなのか。

漁師の網にかかった、巨大なグロい魚とか、
食堂であった可憐な田舎娘との再会とか(主人公は気付かない)
色々メタファーがあるみたいっすが、私にはよくわかりません。
トレヴィの泉でのアニタ・エクバーグの水浴びとか名場面だし、
イタリアの風俗や遺跡、ちょっと悪趣味な出し物とか、
映像が面白いので観る価値大! さすが名作。
――でもやっぱ長いかな。

私も昔は、文化人サロンなんかで
絵画や音楽なんかの芸術を語りながら、
人生とは人間とは神とは――みたいなのを
(うそっす、本当はアニメや漫画、サイケにプログレなんかのロックやジャズのこと)
東西の知識人(オタク)と論争したい。みたいなこと思ってたんですが、
人付き合い苦手だし、面倒くさいし、
なにより自分がそれ相応の地位も才能も何も無いってのがね……。

甘い生活』ってタイトルから軽いコメディっぽいのを連想してたんすが、
実際は甘くなかった。みたいな
芸能界ってのは人をおかしくするのか?


8 1/2 (はっか にぶんのいち)』
観始めて最初の印象は、わけわからん……。
でもなんか、映画制作に行き詰った映画監督が湯治場で、
映画や人間関係のストレスで見た、妄想や現実や夢や子供の頃の記憶なんかが、
継ぎ目無く流れて行くっていうか、そんな物語かな。
と思えば別に難しいこともなく。映像がスタイリッシュで厭きないし。
前衛作品って聞いていたんで、もっとワケワカラン映像の羅列や、
ツマラナイ無意味なシーン、
モンタージュや映像の変調なんかあるのかと思ったんですが。
凄いテンポよく、止まることなく映像が、物語が進行するんですよ。
現実(のような場面)から虚構・妄想へ、いったいいつ変わったのか
視聴者が意識する間もなく、変化し続けます。
面白い作品、映画史に残る作品なんだろうなぁ。
でも、テレビ版『新世紀エヴァンゲリオン』の最後がダメな人
なんかには向かないだろうなぁ。
映画レビューサイトとかでは高評価か低評価の両極端みたいだし。
自分が理解できないモノに対して低評価にする気持ちはわかりますが、
映画史的にみれば凄い作品だと思う。
今は理解できなくても、後で観直すと面白かったりするし。
しょせん物事の理解なんて出来ない、
いや理解したと自分が勝手に思っているだけで
なーんもわからないもんですよ、全てのことは。
映画に点数付けるのは失礼なんすが、
8 1/2』は10点満点で8.5点かな、8 1/2だけに。うそ

なんかハーレム妄想で、
ある一定の年齢になったら二階に行かなきゃならないってのがなんか、
男の妄想だなぁ。と
主人公・映画監督のグイド・アンセルミの妻役・アヌーク・エーメが、
なんかキツメのメガネ美人でいいなぁ。